日本は、多彩な石を産出しています。このためか各都市特有の「石の文化」が蓄積されてきました。
また、石の文化は、各都市の性格によって異なっているように思います。その要因を、地域計画家 三宅正弘さんは、自身の著書でこう分析しています。
「要因その1」
その都市が石を産出するかどうかで、地場の石で築かれる都市と、そうでない都市とでは決定的な違いが生じるため。
「要因その2」
それぞれの都市が栄えた時代によって景観が変わってくるため。すなわち戦国時代に栄えたまちと、コンクリート造成が始まった現代では、都市の風景が変わるということです。
では全国の「石の文化」を探ってみましょう。
奈良県明日香村は、石舞台・亀石・鬼の雪隠(せっちん)・酒船石(さかふねいし)などが築かれた「石の都」です。
「石舞台」は、古墳時代後期の横穴式石室墳。石がくりぬかれている「鬼の雪隠」は、そのそばにある「鬼の俎(まないた)」と共に、石棺式石室を構成していました。
また飛鳥は「水の都」としてもよく知られています。豊かな水が流れ、水にまつわる謎の石造物もたくさん発見されています。
「出水の酒船石」や「岡の酒船石」。噴水のように水が通る「須弥山石(しゅみせんせき)」など、水が流れるしくみをつくっています。
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酒船石遺跡
国営 飛鳥歴史公園
大阪城は元和元年(1615)、豊臣氏の興亡をかけた大阪夏の陣の戦いが行われ、天守閣等の建造物は焼失し、豊
臣氏は滅びました。
天下は徳川氏のものとなり、西国等の大名に命じて大阪城の大修築を行わせました。工事は約10年もかかったと伝えられ、大阪町民に徳川家の権威、勢力誇示し、また西国大名の財力を消滅するねらいがありました。
大阪城の石垣はなるべく良質で大きな立派なものが喜ばれたそうで、工事を請け負った大名は自分の紋をその石に刻み込んで出したらしくその石のことを「定紋石」と呼んでいます。
石垣に使われた石は、小豆島や岡山市犬島の採石場から運ばれたそうです。
大阪城の石垣は、「寺勾配(てらこうばい)」といって、平面的・縦断的にアーチ構造となっているため、非常に安定した構造物となっています。
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大阪城豆知識
花崗岩の巨石でできた石垣
大阪城公園
日本は石の国、石造りの国です。日本列島は世界屈指の火山国で、地表面の3分の1は火成岩が覆うなど、多種多様な岩盤で構成されています。
全国各地の景勝地に、断崖絶壁、岩礁、渓谷があることはご存じですよね。豊かな森林資源と木造建築の国ですが、石の存在価値を忘れてもらっては困ります。
全国各地に拡がる「石の文化」・・・・・・・。
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<引用・参考資料&HP>
○石のはなし 技報堂出版(株) 白水 晴雄著
○石の街並みと地域デザイン 学芸出版社 三宅 正弘著