庵治石について

庵治石の特徴

希少性と高い品質を誇る庵治石は、構成鉱物の結晶が小さく結合が緻密なことから、花崗岩のダイヤと呼ばれるほど。高い技術を持った職人たちの手によって、その庵治石の美しさをさらに引き出します。

1世界的評価を得る“斑”の模様

庵治石は、斑(ふ)といわれる青みがかった模様が特徴的です。研磨された石の表面に黒雲母が緻密に入り、まだら模様の濃淡ができるのは、庵治石ならではの現象です。世界中の石材の中でも類を見ない珍しい現象といわれています。きめ細かい細目のものは特に最高級材として珍重されており、“班”または“牡丹柄”と呼ばれる独特の色調と石目模様がはっきりと浮かびあがります。この斑が暮石に独特な風格と存在感が生まれ、上品な印象を与えてくれます。

2石の緻密さがもたらす硬度と耐久性

庵治石は、含まれている結晶が細かく、鉱物の結合が緻密なため、硬度と耐久性に優れています。長石や石英、雲母などといった構成分子密度が高いことから、石英の塊である水晶に近いといわれるほどです。この硬さが細かい細工や彫刻を可能にし、磨けば磨くほど深みのあるツヤを出します。また、この硬さが水の侵入を防ぐため、雨風による経年の変質や変色に強く、いつまでも美しいツヤを保つことのできる耐久性へと繋がっています。

3庵治石の魅力を引き立てる職人たち

庵治産地には、庵治石本来の魅力を最大限に引き立てることのできる職人がいます。庵治産地では、原石の採掘から加工、完成までの工程を専門ごとに分業化することで、現在に至る高度な技術を生み出すことができています。職人たちは、硬くてノミが立ちにくいといわれる庵治石を加工することができる高い技術を持っています。代々受け継がれた技術と経験を培い身に付けた職人たちの手によって、世界に誇る庵治石を磨き続けています。

最高品質の庵治石が採れる大丁場

庵治産地は、大丁場、中丁場、野山丁場、庵治地区、全部で4つの丁場郡に分かれています。
その中でも埋蔵量が多く、最良の庵治石が多く採れるのが大丁場です。約60万㎡の山林からなる採石場で、
丁場として最も歴史が古く、今から450年前から採掘が始まりました。
この大丁場には、石を見極める目と熟練の技術を持った山石の職人が採石に携わっています。
庵治石の中でも細目の極上といわれる7〜8割が産出されており、最高品質と世界に認められる石を安定供給し続けています。

庵治石の歴史

1000年以上前から石材として使われ続けている庵治石。京都にある石清水八幡宮の「建武回禄記」にも記されています。長い歴史の中で、庵治石の魅力を引き出してきた伝統の技術が脈々と受け継がれています。

11億年の時を超えた地球の贈り物

庵治産地があるのは、瀬戸内に面した香川県高松市の北東部。讃岐の霊峰とも呼ばれる五剣山の山麓に、何千年も採り続けることのできる量の庵治石が眠っています。瀬戸内海や中国地方の基盤が作られたのは、今から約6500万年から1億年前の白亜紀後期。その時、火山活動で噴き出したマグマが地中で冷え固まり、やがて地中深くで花崗岩になりました。その後、再び起こった約2000万年前の地殻変動によって地表に姿を現したのが、現在の庵治石です。

2平安時代末期まで遡る採石の歴史

庵治石に関する最古の記録が、京都にある石清水八幡宮の「建武回禄記」という古文書に残っています。この文書には「暦応2年(1332年)、京都男山の石清水八幡宮の宝殿、拝殿などの再建のため、新しく切石を据え付けた。その石材は前例によって讃岐の鴨部から運んできた」という記述があります。文中にある“前例によって”という文言から、暦応2年よりも前の時代に庵治石が使われていたことが推測されます。そういったことから、庵治石が京都に運ばれて石材として使用され始めたのは平安時代の末期ではないかといわれています。

3時代ごとの需要に合わせて発展

庵治産地で本格的に採掘が始まったのは、天正時代(1573年〜)。江戸時代には、城造りが盛んになったことから、高松城や大阪城の築城に庵治石が使われました。現存する高松城の石壁や桜門の礎石、大阪城の石垣などにも庵治石が使われており、これらは今も見ることができます。明治時代には、文明開化とともに庵治石の需要は増加。昭和30年ごろからは、採石や加工における機械化が進み、庵治石に関連する産業は飛躍的に発展しました。長い時代を経て職人の技術が磨かれ、庵治石が世界で一番高価な石材「石材のダイヤ」として認められるようになりました。